岡田憲久 最終講義

 


 
 
 岡田憲久  最終講義
 
「自然学―人間と自然の新しい関係を求めて」
 さる 127日造形大学小牧キャンパスの C501号室において 11時より 1230分まで岡田憲久の最終講義その後茶話会を開催していただきました。名古屋造形大学での 29年の教員生活でした。
講義の内容を簡単にお話したいと思います。
 
今、このコロナ禍で、資本主義の経済活動が止まっている。その経済活動を支える我々の生活の在り方が止まっている。経済成長を続けながら地球環境を守るのは無理がある。大量生産・大量消費を土台とした生活の代償としての気候変動?コロナ禍?
資本主義そのものに挑む新しい脱成長、 「人間の豊かさのありかた」が求められている。その価値を構築するのは学生諸君、あなたたちの世代である。
我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか
フランスの画家ポール・ゴーギャンが 1897年から 1898年にかけて描いた絵画のタイトルである。
その豊かさを求めるために、我々はいつどこで、越えてはいけない境界を越えてしまったのかを見つめ直さなければならない。我々がよって立つ地球環境の変化点がいくつかある。パリ協定は、産業革命の前後を我々がエネルギーの使い方の大きな変化点として提示し、多くの人たちがその視点に同意している。
しかし今はもっと大きな変化点だという視点の提示に、近年大きな議論を呼んでいる 人新世(アントロポセン Anthropocene)という考え方がある。AI(人工知能)やゲノム編集(遺伝子改変)、核開発など人間活動の影響で地球は完新世が終わり新たな地質年代「人新世」に突入しているという。大量のプラスチックや核実験による放射性降下物など、地球に半永久的な痕跡を残す現代文明になっている。人類の歩みが宇宙史のスケールで問い直され始めている。「 人間が地球を支配する生物種になった時代」としての認識である。
変化点を示す 1つの視点が「 グレート・アクセラレーションGreat Acceleration)」と呼ばれ、 20世紀後半における人間活動の爆発的増大を指す。そのことをとらえるための指標は、第二次世界大戦後に急速に進んだ人口の増加、グローバリゼーション、工業における大量生産、農業の大規模化、大規模ダムの建設、都市の巨大化、テクノロジーの進歩、社会経済における大変化、二酸化炭素やメタンガスの大気中濃度、成層圏のオゾン濃度、地球の表面温度や海洋の酸性化、海の資源や熱帯林の減少。そのすべてが 1950 年以降に爆発的上昇を示す。その一つ、世界人口は1950年に約25億であったのが、2020年には77億、3倍以上になり、その数の人間が、大量生産、大量消費の物質的豊かさを求め、地球環境にダメージを与え続ける生き方をしている。私は1950年生まれで、まさにこの急激な変化点を生きてきた世代である。
科学技術の発達によって自然はすべてを制御できて、人間の論理だけですべてのことを決めていけると考える、環境へのかかわり方になってしまっていた。しかしこの異常気象で、コロナ禍で今、太古の人たちが出会った自然と再び出会っている。だが自然というものを、リアリティを持って理解できなくなっている。
 
私は、短大のランドスケープデザインコースに 1991年に赴任し、そののち 4大の講義系で自然関係の講義を担当してきた。フィールドワーク、環境生態学、環境デザイン論、自然学など。
人間と自然の関係をデザインすることを専門とする私が、大学で学生たちに何を伝えられたのか?私自身が社会でどのような仕事ができたのかをスライドを多用し講義を進めた。
大草キャンパスを卒業生の募金により、毎年少しづつ苗木を植え、今の緑のキャンパスをつくってきたこと。自然学の授業でのタケノコ堀、竹の箸をつくり茶碗をつくりご飯を炊いたこと。地球部の顧問で、学生たちとお百姓さんをつなぎ、田植え、稲刈り、かいぼりに参加したこと。京都大学の持つ原生林へ学生たちと毎年出かけたこと。江本菜穂子先生とのフィールドワークの授業。伊勢神宮、ミホ・ミュージアム、きららの森、足助屋敷の散策。
私自身の仕事として、武田薬品の研修所、東海市の緑の軸、中部大学の 3つの庭など。
大学で何を学生たちに伝えられたのか?  社会でどのような仕事ができたのか?30年を振り返ってみた。
このコロナ禍で立ち止まって考えることをしたい。
私が今たどり着いている 1つの言葉がある。
「生物からあまりにもかけ離れてしまった存在としての人間」
しかし「生物の中の1存在としての人間」
その境をどのように生きるかという問いにどのように答えるのか。
最後に学生諸君へ贈る言葉として、資本主義そのものに挑む新しい脱成長 「人間の豊かさの新たなありかた」が求められる。その価値を構築するのは学生諸君あなたたちの世代という言葉で締めくくった。
本当に多くの人たちに支えられた30年でした。事務職員の方々、助手の方々、技術職員の方々、木工室、陶芸室、バスの運転手の方々、先生方、学生諸君、卒業生諸君。ありがとうございました。
名古屋造形の素晴らしい未来を願っています。ありがとうございました。